150年の歴史

2014

第26回「アンティーク・ビエンナーレ」にハイジュエリーコレクション「レーヴ ダユール」を出品。

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ブライダル ギフト

1913年、ブシュロンはエドモン・ドゥ・ロスチャイルド男爵夫妻からの依頼を受け、彼らの息子ジェームズが婚約者に贈るウエディングギフトを制作しました。男爵が所有していた12粒の大きなパールや80石のダイヤモンドを含む素晴らしい宝石を使用し、ネックレス、ティアラ、ヘッドバンド、ブローチからなる特別な贈り物を完成させました。

2013

ヴァンドーム広場26番地の本店サロンにて、現代美術家 杉本博司氏の作品展を開催。杉本氏の作品とハイジュエリーコレクション「オテル ドゥ ラ ルミエール」、それぞれの光が美しく響きあいました。

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1900年 パリ万国博覧会

1900年、パリ万国博覧会が開催され、ブシュロンは見物客だけではなく審査員たちをも驚嘆させる優れた作品の数々を発表しました。その中の一つに、「チェスナッツ リーフ」と呼ばれる木の葉をモチーフにしたネックレスがありました。一つ一つが存在感にあふれる美しい13石の大粒のエメラルドの周りを希少なマーキスカットのダイヤモンドで囲んだデザインでした。

2013

ブシュロンはアジアに広がり続けます。
香港のペダー・ストリートとオーシャンターミナルの2ヶ所に新たにブティックをオープンしました。
“Pearl of the Orient”の名の通り、ハイジュエリーの真髄をお届けします。

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サロン シノワ

19世紀末、ヨーロッパを魅了したアジアの美術や文化に影響を受けた「サロン シノワ」は、ブシュロンのエキゾティックでラグジュアリーな価値観を物語り、メゾンの魅力を表現しています。玉縁で仕切りを飾り、カーマインレッドの西洋の漆塗り“ヴェルニ マルタン”で覆れた部屋は、ヴァンドーム広場26番地のブティック内で極めてプライベートな雰囲気を醸し出しています。芸術作品とも呼べるこのサロンは2つのショーケースを備えていましたが、そのうちのひとつは隠し扉になっており、私的に訪れるお客様のプライバシーを守っていました。

2012

パリのグラン・パレにて開催の「アンティーク ビエンナーレ」に出展。

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ラ・カスティリオーネ

「女神」の異名をとったカスティリオーネ伯爵夫人は、当代随一の美女として知られていました。このミステリアスな美女は、ヴァンドーム広場26番地にあるノセ邸の中2階に15年間住み、この建物をフレデリック・ブシュロンと共有していました。彼女はことのほかブシュロンンのクリエイションを愛し、瞬く間にメゾンの最重要顧客の一人になりました。
ナポレオンIII世を始め、誰もの心をとりこにした彼女は、彼女に夢中の男性たちから贈られたジュエリーに身を包んでいました。この世のものとは思えない美貌が太陽の光で損なわれることがないように、カスティリオーネ伯爵夫人は夜しか外出せず、ジュエリーで美しく飾ったその姿は、ヴァンドーム広場の薄明りの中で輝いていました。一人きりになると彼女は、今度は最高にまばゆく煌めく宝石の魔法のような輝きにいつまでもうっとりしながら、自身のジュエリーを眺め続けていたと言われています。

2011

高貴の象徴である白鳥が、優雅に羽を広げた姿で、ブシュロンの豊かなアニマルコレクションに加わる。

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ウラジミール

ジェラール・ブシュロンの飼い猫ウラジミールは、ヴァンドーム広場のブティックにいつも姿を現し、まるで自分の庭のように宝石やジュエリーの間を歩き回っていました。ヴァンドーム広場26番地の邸宅の中で、ウラジミールの存在は本物の家族の家をイメージさせました。幸運を招く猫とみなされていた非常に人懐っこいこの猫は、顔見知りのメゾンの顧客たちに優しく撫でてもらうのが大好きでした。それ以来、ブシュロンの動物たちが攻撃的だったり、危険だったりしたことは、一度たりともありません。

2010

ブシュロンとジラール・ペルゴとのコラボレーションによる、ハイジュエリー タイムピース「トゥールビヨン レディホーク」を発表。

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幸せな時間

1785年、時計師ルソーが、パリの子午線にぴったり合わせた、太陽の通り道に向けたルーペを上に備えた小さな大砲のある、新種の日時計を発明しました。この日時計によって、正午に腕時計や置時計の時刻を合わせることが可能でした。当初パレ・ロワイヤルの庭園に設置されていたこの日時計は、アーケードの下にあったフレデリック・ブシュロンの最初のブティックに、毎日光を反射していました。最初の台座には、「Horas non numero nisi serenas(私は幸せな時間しか数えない)」と書かれていました。時間と人生についてのこのようなビジョンに魅了されたフレデリック・ブシュロンは、これを自分のモットーにしました。メゾンの初期の作品はこのモットーを拠り所にしています。フレデリック・ブシュロンは「幸せな時間」の時計師でありたいと願い、この表現を人生の讃歌にしたのでした。

2008

パリのプティ・パレ美術館にて、創業150周年を祝う。

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フレデリック・ブシュロンのオルゴール

フレデリック・ブシュロンは、ミステリアスな小箱を所有しており、それを机の上に飾ってお守りにしていました。この小箱の中にはオートマタのメカニズムが入っており、作動させると突然1羽の鳥が飛び出して、数十秒間動きさえずるのでした。フレデリック・ブシュロンはごく頻繁に世界中からのお客様を迎えていましたが、お客様がお帰りになる際には、彼らの旅の無事を願ってこのオートマタを動かすことが習慣になっていました。そして店内には、ブシュロンが幸運を呼ぶメロディーとみなしていた鳥のさえずりが響いていました。

2005

繊細でキュートなハリネズミが、メゾンを代表するモチーフ「ポワント ド ディアマン」に身を包んだリングに姿を変えて、ブシュロンにとって大切なアニマルコレクションの一員に。

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ブルー・ブレイザー

ブシュロンのブティックがオープンしてしばらく後、リッツがヴァンドーム広場に開業、セザール・リッツとフレデリック・ブシュロンはすぐに親しくなりました。ヴァンドーム広場26番地には、この超豪華ホテルと同じ雰囲気が漂っていたため、リッツの宿泊客たちはブシュロンのブティックをまるでこのホテルの別館のようにみなしていました。そしてフレデリック・ブシュロンの執事はリッツと同じカクテルを提供していました。フレデリック・ブシュロンお気に入りのカクテルは、ブルー・ブレイザーだったとされています。

2004

メゾンを象徴するリング「キャトル」を発表。

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アバ

アメリカ映画のアイコン的存在であるエヴァ・ガードナーの永遠の魅力が、メゾン ブシュロンに「アバ」コレクションのクリエイションのインスピレーションを与えました。映画『シンガポール』の中で、エヴァ・ガードナーは燃えるような愛を象徴するリングを贈られます。そのシーンでの彼女の素晴らしく感動的な表情は、大切なジュエリーを受け取る女性の気持ちを見事に体現しています。まばゆい煌めきを放ち宙に浮かんでいるかのように見える「アバ」ジュエリーのダイヤモンドは、群衆の中で抜きん出ており彼女しか目に入らない、このグラマラスな魅力を体現する美女をイメージさせます。

2003

エヴァ・ガードナーの永遠の魅力へのオマージュとなるコレクション「アバ」を発表。

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デリラ

ロシアの皇太子ニコライII世は、あるパーティーの途中、イギリスのヴィクトリア女王の孫に当たるアリックス・フォン・ヘッセン=ダルムシュタットが落としたシルクのスカーフを拾ったとき、彼女に激しく一目惚れしました。この出会いにオマージュを捧げ、この素晴らしい瞬間を永遠のものにするために、ニコライII世は数年後、妻への永遠の愛の象徴として、スカーフのしなやかさを貴金属で表現したゴールドのネックレスをフレデリック・ブシュロンにオーダーしました。それ以来ブシュロンは、ゴールドをしなやかでなめらかな布のように細工し、ゴールドの糸で織り上げたかのようなジュエリーに仕上げています。

1988

ジャックマール=アンドレ美術館での大回顧展とともに創業130周年を記念し、初めての香水を発表。

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ジョーン・クロフォード

アメリカの有名女優ジョーン・クロフォードは、メゾン ブシュロンの特別なお客様でした。彼女はブシュロンでアクアマリンとダイヤモンドをセットしたパリュールを購入しましたが、彼女はこの作品について、その気高い独特の輝きがある種のインスピレーションを与えてくれると語り、映画の中で身につけることを非常に頻繁に要求していました。
お気に入りの女優の思い出の品を自分のものにすることを切に望んだアンディ・ウォーホルは、1977年にこのパリュールを買い求めました。彼にとってこのパリュールは、値段のつけようのないほど貴重なものでした。なぜならばこれらの宝石には、クロフォードの魂の一部がこもっていると彼は信じていたからです。

1973

日本で最初の店舗をオープン。有名な北斎の『富嶽三十六景』の中の『神奈川沖浪裏』へのオマージュとされる1910年制作のこのティアラは、日本からの影響を表す代表例。

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サラ・ベルナール

19世紀末に世界一有名な女優だったサラ・ベルナールは、ベル・イル島でたくさんの風変わりなペットたちに囲まれ、名だたる招待客たちを招いき、盛大なパーティーを度々開いていました。メゾンの顧客だった彼女は、リングやネックレスに仕立て、最高にまばゆい宝石をセットした、ペットの犬や猫、鳥を模したジュエリーの制作を何度も依頼しました。こうして彼女は、ブシュロン アニマルコレクションのブームのきっかけを作ったのでした。

1968

「セルパン」コレクションの最初の作品を発表。無限の象徴であり守り神ともいわれるスネークをモチーフとした「セルパン」は、その後メゾンを代表するコレクションの一つに。

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エディット・ピアフ

1948年、「愛の讃歌」を作詞した後、この歌を初めて歌うときに幸運が訪れるように、エディット・ピアフはブシュロンで「リフレ」ウォッチを購入しました。そしてこの歌が大ヒットした後は、彼女は「リフレ」ウォッチを幸運のお守りとみなしました。1949年から1963年までの間に、ピアフは21個以上の「リフレ」ウォッチを購入、そのうちのひとつを生涯の恋人マルセル・セルダンに贈りました。

1947

最初の「リフレ」ウォッチを発表。

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イラン国王 

世界で最も夢のような財宝のひとつの鑑定

1930年、ルイ・ブシュロンはイラン国家の財宝の鑑定をイラン国王から委任されました。それはルイ・ブシュロンがそれまで目にしたことがなかったような、信じられないほど見事な宝石と類稀なオブジェで構成された、世界で最も夢のような財宝のひとつでした。その中には、全体が宝石で覆い尽くされたゴールド製の玉座や、51,336個の宝石をセットした地球儀などが含まれていました。
ルイ・ブシュロンが何か月もかけて行った評価の結果は秘密のままであり、永遠に公になることはないでしょう。
ルイ・ブシュロンと彼の子孫たちは、今日なおテヘランにあるこのイランの財宝の公式な管理者になっています。

1930

イラン国王レザー・シャー・パーレビがブシュロンに王家の宝飾品の鑑定を依頼。これを機にブシュロンはイランの国宝の公式な管理者となった。

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パティアラのマハラジャ 

ヴァンドーム広場で最も見事なオーダー

1928年8月、パティアラのマハラジャがダイヤモンド7,571個、エメラルド1,432個など、宝石がぎっしり詰まった7個の大きなケースを持った従者を伴い、ヴァンドーム広場26番地に姿を現しました。ブシュロンの名声、さらにはブシュロンがインドとの間に結んでいる強い絆に心惹かれたマハラジャは、自身の財宝に含まれる数千個のダイヤモンド、ルビー、エメラルドを用いて、149点のジュエリーで構成される卓越したパリュールをブシュロンに注文しました。これは現在のところ、ヴァンドーム広場でなされた最も大規模で並外れたオーダーになっています。

1921

後にエリザベス皇太后のお気に入りのジュエリーの一つとなる、ダイヤモンドのティアラを創作。

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アスター夫人

20世紀の初め、1911年に大富豪の跡取りジョン・ジェイコブ・アスターIV世と結婚するまでニューヨークの花形だったマデライン・アスターは、フレデリック・ブシュロンの常連客で、毎年彼の元を訪れては最高に見事なジュエリーをオーダーしていました。タイタニック号に乗船し、アスター夫人は沈没事故から無事生還しましたが、夫は勇敢にも一人の女性客に救命ボートの席を譲ったがために助かりませんでした。アスター夫人の素晴らしいコレクションのうち、事故時に彼女が指にはめていたサファイアとダイヤモンドをセットしたリングのみが唯一難を逃れました。夫人はこのリングを勇気ある夫の思い出として、それ以後肌身離しませんでした。

1909

ルイ・ブシュロンがインドを初訪問。宝石の買い付けとジュエリーの販売のためのこの旅は、後のブシュロンのハイジュエリーの創作に大きな影響を与えることとなった。

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レディ・ハーコート

メアリー・エセル・バーンズのコレクションは、これまでにブシュロンが創作した中で最も華々しいもののひとつです。彼女の婚約が調うと、彼女の父親は結婚祝いの品を受け取るために、未来のレディ・ハーコートとなる娘と共に、ブシュロンを訪れました。娘を溺愛するウォルター・ヘイズ・バーンズは、彼女にこれまでに見たことがないような素晴らしい嫁入り道具を贈りたいと願い、憧れのジュエリーをどれでも選んで注文するように勧めました。メアリーはブティックで数日かけて、最高に素晴らしいパリュールと最高にまばゆい宝石を選んだと言われています。

1903

ロンドンのニューボンドストリートに店舗をオープン。ニューヨークにオフィスを開設。

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ベルギー国王

1900年、ブシュロンはベルギー国王レオポルドII世のために、紋章と王冠をあしらったゴールド、サファイア、ルビーの腕時計を制作しました。彼はこのタイプの時計を選んだ最初の男性客でした。なぜならば、当時の男性は懐中時計を好み、腕時計は女性的すぎるとみなしていたからです。こうしてフレデリック・ブシュロンのおかげで国王は、現在では当たり前のものになっている流行のさきがけになったのです。

1900

パリ万国博覧会にて金賞を獲得し、アール・ヌーヴォーの先駆者としての地位を確立する。

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ラ・パイヴァ

美貌で知られるラ・パイヴァは、「宝石以上に自分に喜びを与えてくれる物も人も存在しない」と、投げやりに告白していました。30年間、彼女の魅力に気づき夢中になった男性たちが、彼女が何よりも愛する素晴らしいパリュールを贈りました。その後彼女はドナースマルク伯爵と結婚しましたが、伯爵は彼女の大きな欲望を満足させるために、全財産を売り払いました。中でも伯爵が彼女に贈った世界で他に類を見ない100カラットのイエローダイヤモンドは、男性の女性に対する激しい愛を象徴しています。

1897

モスクワに最初の店舗をオープン。同店は1911年にサンクトペテルブルグに移転。(モスクワ店は2003年に再オープン)。

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アレクサンドラ皇后

婚約者アレクサンドラに猛烈に恋したロシア皇帝ニコライII世は、フレデリック・ブシュロンを宮廷に迎え、これまでに誰も身につけたことがないようなオリジナルで見事なティアラの創作を依頼しました。それに応えブシュロンは、2,000時間を超す作業時間を費やして、全体にパールとダイヤモンドをセットした、息を呑むほど素晴らしい小さなティアラを制作しました。ニコライII世は、1894年に行われた婚約式の日にこの卓越した作品を贈り、アレクサンドラの心を打ちました。激しい偏頭痛に悩まされていた皇后は、頭痛を和らげるのはこのティアラだけだと言って、これを自身の象徴的なジュエリーにしました。

1893

ヴァンドーム広場26番地に出店し、アトリエを移転。広場に拠を構えた最初のジュエラーとなる。フレデリック・ブシュロンは、当時、中二階に住んでいたカスティリオーネ伯爵夫人とこの建物を共有していた。

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ヘンケル・フォン・ドナースマルク

1885年4月27日、ラ・パイヴァの夫だったヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵が、ブシュロンに一風変わったオーダーをしました。彼はダイヤモンドのリボンで結んだ1束の妻の髪の毛を中に入れた、ローズカット ダイヤモンドで囲んだロケットを、時計の裏蓋に取り付けさせたのです。こうすることで彼は、心から愛した妻への想いが決して消えることがないよう願いました。このような方法で、幸せなひとときを意中の人に捧げることを選ぶことにより、彼は過ぎ行く時間を愛の時間とみなしていたのでした。

1889

パリ万国博覧会に、「クエスチョンマークネックレス」を出品。以降、このネックレスのスタイルは、メゾンの定番に。

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王家の宝飾品

1887年、当時「世紀のオークション」と呼ばれた、世界一有名なジュエリーのオークションのひとつがルーヴルで開かれました。それはフランス王家の宝飾品のオークションでした。世界中の名門ジュエラーたちの中で唯一のフランス人だったフレデリック・ブシュロンは、それぞれ重さ18カラットと16カラットの有名な「マザラン」ダイヤモンド、さらにはオークションで値段が高騰したウジェニー皇后の見事なダイヤモンドのひとつを落札しました。フレデリック・ブシュロンがこの豪華な宝石を落札したといううわさが流れたとき、パリ中が本当の注文者は誰なのかと尋ね合いました。実はフレデリック・ブシュロンは、リングに仕立てて、永遠の愛の証として妻ガブリエルに贈るために、このダイヤモンドを手に入れたのでした。以来ブシュロンは、愛のジュエラーになっており、恋に燃える男性たちがエンゲージリングを選びに来ることが伝統になっています。

1887

フランス王家の王冠のダイヤモンドがオークションに出品され、フレデリック・ブシュロンはフランス人でただ一人の落札者に。その後、王家の宝飾品のスタイルを踏襲した数多くのジュエリーが創作されることとなった。

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マッケイ夫人

1876年から1902年までの間にメゾンの注文台帳に102回もその名が登場する、アメリカの富豪マリー=ルイーズ・マッケイは、メゾン ブシュロンで最も印象的なオーダーのひとつに数えられるオーダーを行いました。ある日、特にこれといってはっきりとした希望なしにブシュロンを訪れた彼女は、ジュエラーにただ類稀な宝石をとだけ求めました。彼女の深いブルーの瞳に注目したフレデリック・ブシュロンは、彼女の瞳の色を思わせる最高に美しいサファイアを秘密裏に探しました。最終的にネックレスに仕立てられた159カラットのカシミール サファイアはマッケイ夫人を魅了しました。当時人々は、彼女は世界一美しいサファイアを所有していると言っていました。フレデリック・ブシュロンはその当時既に、宝石の美しさ、ジュエリーの美しさは、何よりもまず女性の美しさを際立てるのに役立つためにあるということを理解していたのです。

1878

パリ万国博覧会において、ブシュロンによる一連の作品がグランプリを受賞。中には、マリー=ルイーズ・マッケイのために創作した、159カラットのサファイアがセットされたネックレスも含まれていた。

ブシュロンのアーカイブに、スネークをモチーフとする最初のデザイン画が登場。スネークは今なお、メゾンを代表するモチーフの一つ。

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ガブリエル・ブシュロン

1888年、異国への旅へ出発する前日、フレデリックは愛する妻ガブリエルにヘビをモチーフにしたネックレスを贈り、彼が留守の間このヘビが守ってくれるからと言いました。以後、ヘビは愛と保護を象徴するメゾンのお守りジュエリーになりました。

1867

フレデリック・ブシュロンが、パリ万国博覧会で革新的なジュエリーを発表し、金賞を受賞。

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アレクサンドル大公

1876年2月7日、後に皇帝アレクサンドルIII世となるアレクサンドル大公と妻のマリア・フョードロヴナが、パレ・ロワイヤルの店を訪れました。ローズカット ダイヤモンドを飾った時計付きのシャトレーヌの購入が目的で、大公は縁起を担いでこの時計にリューズと大切なラッキーナンバーを加えさせました。プレシャスなタイムピース。ブシュロンのクリエイションは、幸せな時間を告げる真のお守りなのです。

1866

自社アトリエを開設。

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ラ・ベル・オテロ

つかみどころのない美しさのカロリーナ・オテロは、彼女に惚れ込んだ大勢の男性たちから贈られたジュエリーに覆われていました。彼女のコレクションは、フレデリック・ブシュロンが目にする機会を与えられた最も印象的なもののひとつでした。たくさんのパリュールを所有していたにもかかわらず、ラ・ベル・オテロは真の愛情の花であるシャクヤクをモチーフにしたペンダントをほとんど常に身につけていました。忠実な恋人から贈られたこの花は、彼女の目には永遠の春のごとく映り、頬がほんのりと赤みを帯びた彼女の変わらぬ美しさを思わせました。

1858

フレデリック・ブシュロンが、当時パリの高級品取引の中心地であったパレ・ロワイヤルに最初の店舗をオープン。